モハメド・アリ死去【伝説のボクサーの歴史】 [格闘技 モハメド・アリ]
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先日6月3日に悲しいニュースが流れてきました。
『蝶の様に舞い蜂のように刺す』という言葉でお馴染みのモハメドアリさんが74歳で死去されました。
格闘技ファン、特にボクシングが好きな自分からしてもとても悲しい訃報でした。
死因については呼吸器疾患とされていますが32年間も闘ったパーキンソン病が関係していると言われています。
時代は違えど、モハメドアリに影響を受けた選手や有名人はたくさんいると思います。
また自分も世代は違いますが、ブラックカルチャーがとても好きなので人種差別と闘っていたモハメドアリにすごいリスペクトをしていました。
現役時代は相手を倒すパンチのスピードが速すぎて八百長だと言う声も上がったようです。
※当時はスロー再生などもなかったので。
モハメドアリは大きな体に任せて殴り合いをするヘビー級に華麗で蝶のようなフットワークと蜂の様に鋭い左ジャブを使ったアウトボクシングを持ち込んだ最初のヘビー級王者と言われています。
モハメドアリは誰もが知るビッグネームですが、ここでプロフィールを再度見返すと本当にすごい業績をのこしている選手だと、改めて気付かされました。
改名前の本名:カシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア
改名後の本名:モハメド・アリ
生年月日:1942年1月17日
身長:190cm
リーチ:203cm
国籍:アメリカ合衆国
階級:ヘビー級
アマチュアボクシングでは1960年に開催されたローマオリンピックのライトヘビー級で金メダルを獲得。
プロでの通算成績は61戦 56勝 5敗 37KO
WBA、WBCの統一世界ヘビー級チャンピオンです。
通算では3度のチャンピオンベルト奪取の成功と19度もの防衛戦にも成功しています。
名前は1964年にネーション・オブ・イスラムに加入とWBA・WBC統一世界ヘビー級王者のソニー・リストンに勝利したことから正式に改名しています。
※1975年にイスラム教スンナ派に改宗しています。
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モハメドアリはリング外でも壮絶な戦いを繰り広げていました。
1960年のローマオリンピックで獲得した金メダルは帰郷したケンタッキーのレストランで入店拒否の人種差別を受け悔しさのあまり川に投げ捨てたとされています。
また特に有名なのがベトナム戦争への徴兵を拒否したことからWBA・WBC統一世界ヘビー級王者の剥奪ではないでしょうか。
この徴兵拒否は起訴され1967年には5年の禁固刑と1万ドルの罰金という最も重い有罪判決が下されています。
※最終的には米国政府から無罪を勝ち取っています。
また王座の剥奪だけではなくプロライセンスやパスポートまで取り上げられたので国外での試合も出来ない状態になっていました。
ベトナム戦争でモハメドアリは「私とベトコンの間に争いはない」と名言をを残し、後世に語り継がれています。
当時のアメリカ世論に大きな影響を与えました。
また人種差別をするアメリカに対し批判的な言動を繰り返しその後の、公民権運動や黒人解放運動などの活動が称えられ後にドイツの平和賞である「オットー・ハーン平和メダル」を受賞しています。
※徴兵を拒否したことによりアリは3年と7ヵ月もの間ブランクを作りましたが、復帰後自らの実力で王座の奪還に成功しています。
公民運動のリーダーで黒人解放運動のシンボルでもあるキング牧師はモハメドアリに対してこんな言葉を残しています。
「アリの信ずる宗教は我々とは違う。しかしアリが主張し続ける根本的な問題は、我々が訴えてきた諸問題と寸分違わない。彼の宗教がたとえどのようなものであったとしても、彼の勇気は賞賛されるべきだ」
ここで少し長くなりますので続きは次の
記事に書きたいと思います。
R.I.P. MuhammadAli
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モハメドアリ死去
先日6月3日に悲しいニュースが流れてきました。
『蝶の様に舞い蜂のように刺す』という言葉でお馴染みのモハメドアリさんが74歳で死去されました。
格闘技ファン、特にボクシングが好きな自分からしてもとても悲しい訃報でした。
死因については呼吸器疾患とされていますが32年間も闘ったパーキンソン病が関係していると言われています。
時代は違えど、モハメドアリに影響を受けた選手や有名人はたくさんいると思います。
また自分も世代は違いますが、ブラックカルチャーがとても好きなので人種差別と闘っていたモハメドアリにすごいリスペクトをしていました。
現役時代は相手を倒すパンチのスピードが速すぎて八百長だと言う声も上がったようです。
※当時はスロー再生などもなかったので。
モハメドアリは大きな体に任せて殴り合いをするヘビー級に華麗で蝶のようなフットワークと蜂の様に鋭い左ジャブを使ったアウトボクシングを持ち込んだ最初のヘビー級王者と言われています。
モハメドアリは誰もが知るビッグネームですが、ここでプロフィールを再度見返すと本当にすごい業績をのこしている選手だと、改めて気付かされました。
モハメド・アリのプロフィール
改名前の本名:カシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア
改名後の本名:モハメド・アリ
生年月日:1942年1月17日
身長:190cm
リーチ:203cm
国籍:アメリカ合衆国
階級:ヘビー級
アマチュアボクシングでは1960年に開催されたローマオリンピックのライトヘビー級で金メダルを獲得。
プロでの通算成績は61戦 56勝 5敗 37KO
WBA、WBCの統一世界ヘビー級チャンピオンです。
通算では3度のチャンピオンベルト奪取の成功と19度もの防衛戦にも成功しています。
名前は1964年にネーション・オブ・イスラムに加入とWBA・WBC統一世界ヘビー級王者のソニー・リストンに勝利したことから正式に改名しています。
※1975年にイスラム教スンナ派に改宗しています。
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モハメドアリ・リング外での戦い
モハメドアリはリング外でも壮絶な戦いを繰り広げていました。
1960年のローマオリンピックで獲得した金メダルは帰郷したケンタッキーのレストランで入店拒否の人種差別を受け悔しさのあまり川に投げ捨てたとされています。
また特に有名なのがベトナム戦争への徴兵を拒否したことからWBA・WBC統一世界ヘビー級王者の剥奪ではないでしょうか。
この徴兵拒否は起訴され1967年には5年の禁固刑と1万ドルの罰金という最も重い有罪判決が下されています。
※最終的には米国政府から無罪を勝ち取っています。
また王座の剥奪だけではなくプロライセンスやパスポートまで取り上げられたので国外での試合も出来ない状態になっていました。
ベトナム戦争でモハメドアリは「私とベトコンの間に争いはない」と名言をを残し、後世に語り継がれています。
当時のアメリカ世論に大きな影響を与えました。
また人種差別をするアメリカに対し批判的な言動を繰り返しその後の、公民権運動や黒人解放運動などの活動が称えられ後にドイツの平和賞である「オットー・ハーン平和メダル」を受賞しています。
※徴兵を拒否したことによりアリは3年と7ヵ月もの間ブランクを作りましたが、復帰後自らの実力で王座の奪還に成功しています。
公民運動のリーダーで黒人解放運動のシンボルでもあるキング牧師はモハメドアリに対してこんな言葉を残しています。
「アリの信ずる宗教は我々とは違う。しかしアリが主張し続ける根本的な問題は、我々が訴えてきた諸問題と寸分違わない。彼の宗教がたとえどのようなものであったとしても、彼の勇気は賞賛されるべきだ」
ここで少し長くなりますので続きは次の
記事に書きたいと思います。
R.I.P. MuhammadAli
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