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モハメドアリVSアントニオ猪木の試合結果! [格闘技 モハメド・アリ]

モハメドアリVSアントニオ猪木の試合結果


モハメドアリとアントニオ猪木の異種格闘技の「格闘技世界一決定戦」は印象に残っている人も多いのではないでしょうか。

自分はまだ生まれてもいませんが、、

アリ-猪木6-6-1.jpg

1975年 昭和50年に現役のヘビー級世界チャンピオンだったアリは拳でも口でも戦う男として有名で「100万ドルの賞金を用意するが、東洋人で俺に挑戦する者はいないか?」とジョークを言ったところをアントニオ猪木が「100万ドルに900万ドルを足して1000万ドル(当時のレートで30億円)の賞金を出す。試合形式はベアナックル(素手)で殴り合いで日時、場所は任せる」といった挑戦状をアリ側に送ったのが試合のきっかけとと言われています。

えげつない話ですね。
猪木もさすが、『燃える闘魂』と言われるだけあります。

当時はワールドワイドの世界チャンプであるアリと世界では無名なプロレスラーの猪木との試合は実現しないと言われていましたが、メディアなどが騒ぎ立て無視できなくなったアリ側が仕方なく商談に乗り試合までこぎ着けたと言われています。

今からちょうど40年前の1976年6月26日に行われたこの試合は
「世紀の茶番」「世紀の凡戦」
などと酷評されていますが本当にそうだったのでしょうか?

アントニオ猪木と聞くとプロレスであり、あくまで興行のエキシビションでの試合と連想しますが、このアリVS猪木は、まぎれもないリアルファイトであったがための試合内容だったのでしょう。

いまでさえタイトルを獲得した元プロボクサーが総合格闘技界に挑戦している人はいますが目立った成績を残せている選手はほとんど皆無といっても過言ではないでしょう。

そうなんです。パンチだけのボクサーが全身を使う総合格闘家相手ではルール上、絶対的に不利なのです。

それを知っていたアリ側の取り巻きが猪木戦にあたってルールの変更を何度もしてきて、ほとんどのプロレス技が封印された状態での試合になったのです。

モハメド・アリVS猪木2.jpg試合内容はスタンドでパンチの殴り合いをしたいアリに対して、寝技で決めたい猪木は15Rほとんど寝たままで蹴りを繰り返す展開となっていました。
※後に言う「アリキック」「猪木アリ状態」
今でこそ「猪木アリ状態」は総合格闘技界では普通ですが、当時は総合格闘技という概念もなかったのでこれが、客から見たら退屈に見えたのでしょう。


◆試合結果は3分15ラウンドを戦い時間切れ引き分け◆


この状態に観客はブーイングし、視聴率や売り上げもたたないとし、昨今までソフト化も再放送もされませんでした。※当時の放送の視聴率では38.8%と高視聴率をマークしていました。

ただ、今となりあの世紀の戦いは再評価され、専門家の間では異種総合格闘技の歴史を作った名試合とされています。

現に、グレイシー柔術の連中にアリVS猪木戦を見せたら絶賛の嵐だったという話もあります。

試合後、足をけり倒されたアリの足は腫れあがりエレベーターに乗って扉が閉まるとアリはその場で倒れ込んだという逸話もあります。
※現にアリは足の血栓で入院しています。

あくまですごいのが、現役のヘビー級世界王座がどんなルールにせよプロレスラーと試合をするという事実がすごいです。

アリ、猪木、両者ともに尊敬します!

そしてくしくも今年2016年に、この格闘技世界一決定戦が行われた6月26日を
「世界格闘技の日」に制定されました。

アントニオ猪木【追悼のコメント】
「逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。最近では、体調を崩されているということを聞いて心配しておりましたが、こうして、かつてのライバルたちを見送ることは非常に辛いものです。あの戦いから今年で40年。6月26日が『世界格闘技の日』と制定された矢先の訃報でしたので残念です。」


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猪木vsアリ蘇る伝説の死闘


モハメド・アリ緊急追悼番組ということで12日にテレビ朝日系でアリVS猪木戦がテレビで再放送されるようですね。

猪木は「正直5ランドもあれば楽勝で倒せると思っていた」と衝撃の告白もありました。

モハメド・アリVS猪木3.jpg

番組では現在まで放送されていない感動の秘話も明らかにされるという。

当時の実況では第10ラウンドに初めてアリのジャブが当たったと放送されていたようですが、猪木自身、実はその前からアリの見えないパンチが猪木に当たっていたと語っています。
また逆にVTRを振り返る中で猪木には絶好のKOチャンスがあったことも分かるとされています。

猪木はアリ戦に向けて自身の交渉でルール的に絶対的に不利とされていたのでスタッフが、「社長、黙ってこれを履いてください」と言い鉄板入りのブーツを履かせようとしたとされています。
しかし猪木は「後で後悔する試合はしたくない」とセリフを吐いてブーツは履かなかったとされています。
後に猪木はアリのパンチについて「ちょっと小突かれただけでグラっときた」「まともに喰らったら間違いなく立てない、超一流のパンチ」とアリのパンチ力の凄さを語っています。

また今回放送される番組内では当時では話せなかったギャラの交渉やニューヨークで行われた記者会見の裏側などを赤裸々に番組内で話すとされています。

蘇る伝説の死闘『猪木vsアリ』」は6月12日午後8時58分〜11時10分に放送予定です。

自分も一格闘技ファンとして、そして何よりモハメド・アリの追悼の意味を込めてテレビ番組は絶対に見ます!

R.I.P. MuhammadAli



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モハメドアリの名言【セレクト版】 [格闘技 モハメド・アリ]

先日に引き続きモハメドアリの記事をかきたいと思います。

モハメド・アリ【キンシャサの軌跡】


モハメドアリは数多くの名試合を行っていますが、その中でも最も有名な試合は1974年10月に行われたジョージ・フォアマンとのタイトルマッチではないでしょうか。

モハメドアリ-Rumble in the Jungle.jpg

このタイトルマッチは後に「キンシャサの軌跡」(Rumble in the Jungle)として語り継がれています。
※キンシャサとはザイール共和国(現在のコンゴ民主共和国)の首都キンシャサのこと。※キンシャサでタイトルマッチが行われたために「キンシャサの軌跡」と呼ばれています。

ジョージ・フォアマンは1971年に徴兵を拒否し4年近いブランクを抱えるモハメド・アリを倒したジョー・フレージャーをKOで倒し最強のハードパンチャーと呼ばれるようになった人物です。

当時モハメドアリは4年近いブランクとジョー・フレージャーに初黒星を付けられたことなどで全盛期は過ぎたと世間では言われていました。
下馬評でもモハメドアリが圧倒的に不利、ジョージ・フォアマンの圧勝とみられていましたが、見事その下馬評を覆しWBA・WBC世界統一ヘビー級王座に返り咲きました。

試合内容は8ラウンドまでアリはロープ際で相手のパンチをひたすらブロックとスウェー、ダッキングでかわし相手の打ち疲れを狙うという『ロープ・ア・ドープ』(rope a dope)という作戦で耐え抜き、8ラウンド終了間際にワンツーの速攻でKOまで導きました。

ただ、この『ロープ・ア・ドープ』の戦法は後のアリの試合でも多用したため、アリ自身のパンチの被弾が増え、引退後に発症するパーキンソン病の遠因ではないかとする説があります。

⇒ パーキンソン病につての記事

この「キンシャサの軌跡」は2001年に公開された映画「ALI アリ」でもクライマックス・シーンとして描かれています。

またこの試合の一ヶ月後に行われたロンドンでの記者会見でもアリの興奮は冷めず40分間以上もの間、ノンストップで喋り続けたという逸話まであります。
この記者会見ではアリのスタッフが喋り過ぎで喉を枯らすのではないかと止めに入ったのを押しのけて喋り続けたそうです。



モハメドアリの名言


またモハメドアリは試合だけではなく「口でも戦う男」としても有名で数々の名言を残しています。

モハメド・アリ-名言セレクト.jpg

このアリの名言の中から自分も感化された言葉をセレクトしてシェアできたらと思います。

「不可能」とは、自らの力で世界を切り拓くことを放棄した臆病者の言葉だ。
「不可能」とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない。
「不可能」とは、事実ですらなく単なる先入観だ。
「不可能」とは、誰かに決めつけられることではない。
「不可能」とは、可能性だ。「不可能」とは、通過点だ。
「不可能」なんて、ありえない

リスクを取る勇気がなければ、何も達成することがない人生になる。

私ほど偉大になると、謙虚になることは難しい。

私が心から恐れるのは神の法だけだ。

人が作った法はどうでもいいと言うつもりはないが、私は神の法に従う。
何の罪も恨みもないべトコンに、銃を向ける理由は私にはない。

いかなる理由があろうとも、殺人に加担することはできない。
アラーの教えに背くわけにはいかない。

友情は、この世で最も説明しづらいものだ。 それは学校で教えてくれるものじゃない。
でもその意味を知らなければ、実際何ひとつ知らないのと同じだ。

50歳になった時、20歳の時と同じように世界を見ている人間は、人生の30年を無駄にしたということだ。

俺はトレーニングが大嫌いだった。
でも、自分にこう言い聞かせたんだ。
「絶対に諦めるなと、今は耐えて、そして残りの人生をチャンピオンとして生きろ」

私は蝶のように舞い、蜂のように刺す。 奴には私の姿は見えない。
見えない相手を打てるわけが無いだろう。

想像力のない物は翼は持てない。

人は世界一のゴミ収集人になれる。
世界一のモデルにだってなれる。
たとえ何をやろうと、それが世界一なら何も問題はない。

草は茂り、鳥は空を飛び、波は砂を洗う。それと同じように、俺は人を殴る。ボクシングは俺に課された自然の役割さ

打ち負かされるのがどういうことか、というのを知っている人間だけが、ドン底の状態からわずかながらも相手より強い力をつけて這い上がり、僅差の勝負を勝利に導くことができる」


「想像力のない物は翼は持てない」の名言は現在アップル『Apple』の公式HPのトップページでもモハメドアリの画像とともに使われていますね。

アップル公式HPトップページ ※2016年6月現在

また「人が作った法はどうでもいいと言うつもりはないが、私は神の法に従う。何の罪も恨みもないべトコンに、銃を向ける理由は私にはない。」と「いかなる理由があろうとも、殺人に加担することはできない。アラーの教えに背くわけにはいかない。」はベトナム戦争時に徴兵拒否した時のセリフとして有名です。
こういった名言からもイスラム教徒として信仰の厚かった人物としての一面も伺うことができます。


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モハメドアリへの追悼の広がり


また6月3日のモハメドアリの死去から各界の著名人からの追悼の言葉がTwitterでたくさん寄せられています。

ライオネル・リッチー(シンガーソングライター)
あなたはいつも僕のヒーローだった。


ティム・クック(AppleのCEO)
“リスクを取る勇気が無い者は、人生において何も達成することが出来ない” ご冥福をお祈りします。


ルイス・ハミルトン(F1ドライバー)
私の思いと祈りは、あなたやご家族とともにいます。


マイク・タイソン(プロボクサー)
神がチャンピオンを迎えに来た。さようなら、偉大な人


マニー・パッキャオ(プロボクサー)
われわれはきょう、偉大な人を失った。あなたはいつまでも史上最高であり続けるだろう


デーヴィッド・キャメロン(イギリス首相)
アリ氏はリング上におけるチャンピオンだっただけでなく公民権におけるチャンピオンでもあった。あまりに多くの人々の模範となった人だ


ドナルド・トランプ(共和党議員)
真の王者で、素晴らしい男だった。世界中が悲しんでいる


またアメリカのオバマ大統領は6月4日にミシェル夫人と共にホワイトハウスから公式の声明を発表しました。
モハメドアリ-オバマ.jpg
「世界中の人々と同じように、ミシェルと私はアリ氏の死を嘆いている。しかし、たとえ少しの間でも彼を知ることができ、最も偉大な者と同じ時代を生きたことを幸運に思い、神に感謝している」
と追悼のコメントを示したうえで
「アリ氏はリングの上で戦うだけでなく、人々の権利のためにも戦ってきた。キング牧師や南アフリカのマンデラ元大統領などと共に立ちあがった。彼の戦いは困難で、周囲からは敵視され刑務所に送られそうにもなったが、彼が勝ちとったものこそが、まさにいまのアメリカを示すものとなっている」
と公民運動におけるモハメドアリの貢献を称えていました。

Twitterではアリのノックアウトをした写真とオバマ大統領自身の写真を公開し
「彼は世界を揺さぶり、よりよいものにした。チャンピオンよ、安らかに眠れ」とコメントしています。




R.I.P. MuhammadAli




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モハメドアリの病気【パーキンソン病とは】 [格闘技 モハメド・アリ]

モハメドアリの病気【パーキンソン病とは】


ここではモハメドアリが長年闘っていた病気パーキンソン病について
書きたいと思います。

モハメドアリが6月3日に死去したのは前の記事で書きましたが

⇒ 前の記事 モハメドアリ死去 R.I.P.【伝説のボクサーの歴史】 

死因のひとつでもあるとされているパーキンソン病につてみなさんはどれぐらいご存知でしょうか?

モハメドアリは引退して3年後の1984年に現役時代に受けた脳へのダメージが原因となって42歳でパーキンソン病と診断されています。

そもそもパーキンソン病とはどんな病気なのでしょうか?

パーキンソン病とは脳の病気で日本では難病【特定疾患】に指定されています。

ボクシング以外でも脳に激しい衝撃が加わると同じような症状のことを「パンチドランカー」や「パンチドランク症候群」と表現されます。

「パンチドランカー」「パンチドランク症候群」とは

ドランクとは字のごとく「酔う」という意味で日本でもボクシングが闘拳と呼ばれていたころから「パンチに酔う」という表現をされていました。

症状としては酔ったように、まっすぐ歩けなくなったり手足の震えや、動きが遅くなったり、筋肉がこわばる等の症状が挙げられています。

パーキンソン病は簡単に説明すると脳がダメージを受け脳から体に動けという正常な指令を送れない状態の病気です。

手足の震えのほかに「すくみ足」という症状があります。
このすくみ足で歩行の際の最初の一歩がすくみ転倒の危険があるとされています。

ただ現在ではヨーロッパ諸国の研究者によって、このすくみ足をコントロールする技術が開発されているようです。



モハメドアリの聖火(アトランタオリンピック)


モハメドアリも手足の震えがあり1996年の7月19日のアトランタオリンピックの開会式で聖火台に点火した際も手がかなり震えていたのはパーキンソン病のためです。

モハメドアリ-アトランタオリンピック6-7.jpg

特にモハメドアリはヘビー級でありながら「蝶のように舞う」軽やかなステップワークが売りのボクサーだったのでアトランタオリンピックでの手足の震えは衝撃的だったという印象をお持ちの方は多いのではないでしょうか。

そのアトランタオリンピックでモハメドアリは自分自身の実態でパーキンソン病をという難病を世界に公表したと同時に会場に大きな感動を起こしました。

オリンピック委員会はそんな勇気のあるモハメドアリに聖火台点火の重役と、2度目の金メダルを受賞しました。

※前の記事でも書きましたが、アリは人種差別のため一度、金メダルを川に投げ捨てています。
そのため、2度目の金メダル(金メダルのレプリカ)受賞となっています。


モハメドアリとロンドンオリンピック(2012年)


アトランタオリンピックでは震える手で聖火台の点火の役をこなし感動を起こしたアリは、その後2012年のロンドン・オリンピックの開会式でもオリンピック旗の搬送人の一人に選ばれていました。

モハメドアリ-ロンドンオリンピック.jpg

このロンドンオリンピックのころにはパーキンソン病がかなり進行しており、一人で歩くことも困難な状態でした。

この時は妻に支えられて五輪の旗を運ぶ役目を果たしています。
歩くことも困難なアリが妻や、付き添いの人とともに旗を運ぶ姿は1996年のアトランタオリンピックと同様に数多くの人に感動を与えています。

一度は金メダルを投げ捨てるほど、オリンピックや自国のアメリカの差別を憎んでいたアリですが、二度もオリンピックの開会式に参加したたとうことは、全てを許し受け入れていた証拠ではないでしょうか。



パーキンソン病に関わりが深いスポーツ



ボクシング以外でも頭部にダメージを受けやすい下記の
スポーツはパーキンソン病に関わりが深いとされています。

・フットボール
・ラグビー
・アイスホッケー
・スキー
・柔道
・乗馬
・サッカー


などが挙げられます。
ボクシングは審判がいてダメージを常に伺いダメージが深刻と判断されるとレフリーストップがかかります。
しかし他のスポーツは頭部へのダメージを与えるスポーツではないので頭部への打撲や脳震とうなどがあっても見過ごされるケースが高いとされているので、注意が必要です。

また短期間に頭部に2度目の衝撃を受けると重い症状に陥る場合があるとされています。(セカンドインパクト症候群)
このセカンドインパクト症候群により毎年数多くのアスリートが障害を受けているとされいるので脳震とうを受けたアスリートは最低でも5日間は安静にしないといけないという研究発表があります。

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モハメドアリ以外のパーキンソン病【著名人】


パーキンソン病はモハメドアリ以外でも様々な著名人が発病を発表しています。

海外では大ヒット映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でお馴染みのマイケル・J・フォックスが自身でパーキンソン病と発表しています。
2014年に亡くなられたロビン・ウィリアムズも初期のパーキンソン病と発表されています。
キャサリン・ヘプバーンやヨハネ・パウロ2世にナチスドイツのアドルフ・ヒトラー、中国の毛沢東も同病気とされています。

日本では江戸川乱歩や森光子、小森和子(小森のおばちゃま)や野球の落合博満、最近では加藤茶もパーキンソン病と発表されています。

パーキンソン病を発症している人は世界におよそ約600万人いるとされていて日本だけでも約15万人いるといわれています。

また現代の医学では、はっきりした治療薬や特効薬も見つかっていないのと現時点ではパーキンソン病を完治できる治療方法も確立されていません。
しかしながら確実に医学は進歩し続けています。
パーキンソン病を初め、様々な難病を完治できる時は必ず来ます。
そんな近い将来までモハメドアリやマイケル・J・フォックスのように諦めずに最後まで強い精神で戦い抜けば必ず明るいニュースも届けられると思います。

これを機に少しでも自分の知らない病気と闘っている人がたくさんいるのだということを今回はお伝えできればと考えています。

以上、モハメドアリがかかったパーキンソン病につて掘り下げて書きましたが、次回は引き続きモハメドアリの名試合と数々の名言につて書きたいと思います。


P.S

アップル【Apple】の公式トップページ(日本)でも追悼の意味を込めてモハメドアリの若かりし画像とアリの名言
『想像力のない物は、翼を持てない』
(The man who has no imagination has no wings)
というフレーズが添えられています。
モハメドアリ-アップル-6-7.PNG

本当に多くの人に様々な困難と闘う姿勢と勇気を与えてくれたモハメド・アリのご冥福をお祈りします。

R.I.P. MuhammadAli




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